現代形而上学の入門書
ワードマップ現代形而上学: 分析哲学が問う、人・因果・存在の謎
- 作者: 秋葉剛史,倉田剛,鈴木生郎,谷川卓
- 出版社/メーカー: 新曜社
- 発売日: 2014/02/21
- メディア: 単行本
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ある界隈では待望の本。分析(的)形而上学の入門書としては、すでにコニー&サイダー『Riddles of Existence(形而上学レッスン)』が邦訳されているけど、コニーの担当した章が分かりにくいとか(ぼくも似た印象をもった)、色々不満はあるようだし、そもそも原著はペーパーバックで10ドルちょっとで買えるフレンドリーな一般向け入門書なのに、翻訳は固くて重くてかさばるハードで三千円以上するというのは、人に薦めるとなるとちょっとねー、と思っていたところ。
しかし正直、10年くらい前に加地大介や柏端達也や中山康雄(といった諸先生方)がこういう本を書いてくれていてもよかった、と思う。
紹介はこちら↓がいい感じ。
2014-03-03 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
ひとつ気になったこと。人の同一性について枝分かれを扱っているp.47の注釈に、「人が二人の別人と数的に同一であることはない」ということは、同一性の推移性を別の仕方で言い換えたもの、とあるけど。(2015/11/03の追記。ここの箇所は3刷からは修正されたようです。)
これは正確には、推移性+対称性(からの含意)でしょう。推移的であるが、互いにその関係にはない二つのそれぞれと何かがその関係にあるというのはある。メレオロジーや様相論理のS4や直観主義論理のクリプキ・フレームが、推移性は満たすが分岐を許容する部分順序構造を持つことを考えればよい。たとえば、部分‐全体関係は推移的だけど、互いに相手の部分ではない二つの対象のどちらも部分として含むものや、どちらにも部分として含まれるものというのはある(ぼくの右手と左手は、どちらも他方の部分ではないが、どちらもぼくの上半身の部分である。また、ぼくの右半身とぼくの上半身は、どちらも他方の部分ではないが、ぼくの右手はそのどちらの部分でもある)。こうしたことが成り立つのは、部分‐全体関係は、推移性を満たすが対称性は(必ずしも)満たさないからだ。つまり純粋に形式的には、推移性だけでは少し弱いのだ。
それとも、人の同一性の議論では、このことをけっこう推移性だけで話す慣習があるのかな?(『Reasons and Persons』が部屋のどこにいったか見つけられない・・・)。
まあ同一性の対称性はあまりに自明すぎるからあえて言うまでもない、ということかもしれないけど、少なくとも問題の帰結が推移性を別の仕方で言い換えたもの、というのは論理的な話としてはマズイ、というか言い過ぎなのでは?もちろん反射性とライプニッツの法則から推移性も対称性も出るんだけど。
追記:あとp.238の「ヤンバルクイナ」は「イリオモテヤマネコ」だよね?
追記(2014/09/06):
以下の論評も参考までに↓
草葉の読書記 |鈴木生郎・秋葉剛史・谷川卓・倉田剛『ワードマップ 現代形而上学』
ほぉー。あのex-phenomenologist氏なるレビュアーとは、なるほどこの方であったか。というか、だいぶ前にもそう知って「ほう」となった気がすごくするのだけど、ぼくが忘れていただけなのか・・・。